病気の発見・認識が遅れてしまった(アリセプトの認可が遅かった)
1996年1月28日(日)

ゆざわやへ一人で綿を買いに行く

1996年2月9日(金)

近所なのに宮地歯科で道に迷う

1996年2月22日(木)

小遣いがよく紛失する

1996年3月8日(金)

一人で公設へ買い物に行く

1996年3月27日(水)

宮地歯科へ範代が付き添いで行く

1996年4月10日(水)

箱根で財布紛失騒ぎ

1996年6月17日(月)

物忘れがひどい

1996年7月2日(火)

手芸のねずみを自分の手提げ袋に入れて客に持たせた

1996年8月9日(金)

沢山あるのに綿がないという

1996年9月15日(日)

妹安子が迎えに来てくれた

1996年9月17日(火)

妹安子が送って来てくれた

1996年10月1日(火)

やまゆりへ通所

1996年10月8日(火)

干支の丑を製作しはじめた

1996年10月12日(土)

下痢

1996年10月20日(日)

惚けが進んでいる

1996年10月25日(金)

妹巳代子と神田の妹宅へ行く

1996年12月28日(土)

惚けの進みが早い

1997年1月8日(水)

目玉用のボタンが無いという

1997年2月19日(水)

五十嵐医院 サープルを貰っている

1997年3月20日(木)

眼鏡見つからず

1997年4月5日(土)

一人で宝泉寺花祭りに行き建功寺の奥さまに逢ったという

1997年5月8日(木)

終日、綿を触っている

1997年5月12日(月)

機嫌悪く小遣いを無くしてしまう

1997年6月10日(火)

綿を買いに出て迷子になる。靴底が減る6時間の徘徊。

1997年6月18日(水)

失禁が増える

1997年7月2日(水)

使っていないのにボタンがないと騒ぐ

1997年7月7日(月)

自発的に一人で夕食の買い物に行く

1997年8月11日(月)

下痢で点滴受ける

1997年8月18日(月)

綿を買いに行くと言う

1997年9月3日(水)

綿を混合してゴミにしてしまう

1997年9月23日(火)

前掛け二枚完成

1997年9月29日(月)

夕方転倒して顎を怪我した

1997年12月7日(日)

記憶できない

1997年12月11日(木)

記憶状態悪い

1997年12月18日(木)

痴呆が進んだ

1997年12月24日(水)

干支の寅の製作をはじめた

1997年12月26日(金)

痴呆進んで寅製作出来ず

1997年12月27日(土)

風呂に入れるが完全な惚け状態

1998年1月7日(水)

風邪で五十嵐医院

1998年2月26日(木)

たわらやへ生地を買いに連れて行く

1998年4月26日(日)

前掛けとクッションを作った

1998年5月21日(木)

惚け進行

1998年9月4日(金)

亡夫の額縁を外すなど奇行増える

1998年9月11日(金)

干支のドングリ卯 も出来ない。集中力なく無気力

1998年9月12日(土)

編み棒に執着する

1998年9月14日(月)

ドングリ卯の製作指導

1998年9月23日(水)

症状悪化するばかり

1998年10月1日(木)

異常性に加速付く

1998年10月8日(木)

団栗の卯 諦め 団栗の子 に変更

1998年11月4日(水)

何も出来なくなっている

1998年11月23日(月)

状態悪く先行き暗い

1998年12月16日(水)

能書きは整然としているが行動伴わず、ボケではなくアルツハイマーなのか?

1999年1月11日(月)

デイケアに行く

1999年1月13日(水)

風邪で半日寝ていた

1999年1月25日(月)

デイケア

1999年1月27日(水)

入れ歯調整

1999年7月24日(土)

元気だが下痢止まらず五十嵐医院

1999年8月8日(日)

哀れな様子を見せるようになった

1999年8月30日(月)

風邪で五十嵐医院

1999年9月3日(金)

夜 三角で転倒して救急車で橋爪病院でMRI

1999年9月6日(月)

傷は治ったがサープルは続けて服用する

1999年9月21日(火)

刈谷へ行く

1999年9月27日(月)

デイケア

1999年11月10日(水)

子供のようになる

2000年2月25日(金)

介護契約

2000年4月19日(水)

TYK260ピナトス(脳血管障害の治療薬として)服用

2000年5月25日(木)

外出中に目眩を訴えた

2000年7月5日(水)

介護調査

2000年7月20日(木)

貧血か?倒れる

2000年8月21日(月)

元気だが下痢と下血がある

2000年9月28日(木)

目眩を訴えたので肝を冷やした

2000年10月27日(金)

粗相が激しくなってきた

2000年10月28日(土)

風邪気味で五十嵐医院

2000年12月6日(水)

急にふらついた

2000年12月8日(金)

五十嵐医院で血液検査は問題なく痴ほうも軽い

2000年12月13日(水)

商品を隠し他人に与える

2000年12月14日(木)

起きるのを嫌がる

2001年1月5日(金)

腰痛を訴える

2001年1月8日(月)

デイケア

2001年6月1日(金)

脳波検査

2001年7月3日(火)

サファイヤ指輪紛失

2001年7月9日(月)

下痢酷く潮田病院で点滴受けた

2001年7月19日(木)

居眠りが増えた

2001年7月26日(木)

体重減少して31Kgになった

2001年8月3日(金)

アルツハイマー以外は困らないのだが・・

2001年8月26日(日)

ひ孫を識別できた

2001年8月31日(金)

薬のせいか?精神状態不安定

2001年9月5日(水)

起きたがらない

2001年10月3日(水)

下痢

2001年10月7日(日)

粗相

2001年11月5日(月)

一人では風呂に入れなくなった

2002年1月16日(水)

疲れを訴えて起きない

2002年1月18日(金)

徘徊に出て行方不明となる

2002年1月20日(日)

目を離せない

2002年1月30日(水)

飯を食わせないと言うようになった

2002年2月20日(水)

息子の入院で症状が悪化。徘徊で倒れて菊名病院へ救急車

2002年3月9日(土)

ぬか袋を縫う

2002年3月26日(火)

痛みはないが痴ほうは進んだ

2002年3月29日(金)

息子達が来ないので自分が殺したと後悔している

2002年5月2日(木)

徘徊でケアを欠席。救急車を呼ばれて上末吉交番に保護されていた。

2002年5月8日(水)

症状が酷い

2002年5月18日(土)

駒岡ケア

2002年5月31日(金)

ケア入所で潮田ヘルスクリニック高橋由美子に行った

2002年6月4日(火)

徘徊で不明になったが自力で帰宅した

2002年6月11日(火)

潮田クリニック野末浩之医師の診断でCTに変化なしとのこと。睡眠剤を貰った。

2002年6月17日(月)

痙攣を起こした

2002年6月25日(火)

潮田ヘルスクリニック、リスバダール一錠服用

2002年7月18日(木)

薬のせいか元気がない

2002年7月22日(月)

食欲なく元気がない

2002年7月23日(火)

隔日にエンシュアリキッドを飲む

2002年7月24日(水)

寝たきりで意欲食欲がない

2002年8月4日(日)

衰弱激しく居眠り時間が長い

2002年8月6日(火)

潮田でレントゲン、心電図、尿検査、採血、視力検査。エンシュアとリスパダ-ルを増量してもらった。

2002年8月8日(木)

殆ど意欲がない

2002年8月9日(金)

潮田で検診、点滴受ける

2002年8月11日(日)

リスパダールが切れて元の元気になった。歩行も食欲も死にかけてた姿からは信じられない回復だ

2002年8月12日(月)

元気だが食欲なく、水も飲まない

2002年8月17日(土)

リンスを飲んだり箸をシャツに隠すようになった

2002年8月18日(日)

食欲なく衰弱が見える

2002年8月19日(月)

朝 卵二個と牛乳・粥・人参・ジュースリス気が立つのでリスパダール半錠

2002年8月21日(水)

徘徊が始まった。菜の花ではヨーグルトしか食べず帰宅すると冷蔵庫を開けて腹が減ったという。軽食後昼寝をして徘徊に出た。夜リスパダール半錠

2002年8月23日(金)

潮田へ検診に行きセロクエルに変更

2002年8月27日(火)

野末先生、セロクエル継続の方針。頓服としてもセロクエル

2002年8月28日(水)

良く落ち着いている

2002年8月30日(金)

すいらんにショートステイ六日間

2002年9月14日(土)

徘徊が始まる

2002年9月18日(水)

症状悪化

2002年9月20日(金)

生命力あるが言動は廃人

2002年9月23日(月)

徘徊と大便の捏ねまわし

2002年9月24日(火)

夜6-7回も起きるのでセロクエルを二錠に増やす

2002年9月28日(土)

ショートステイに行った

2002年10月2日(水)

ショートから帰ったが下痢酷い

2002年10月6日(日)

痴ほうは進んでいるが平和だ

2002年10月10日(木)

病状は凄さを増している

2002年10月11日(金)

粗相をしたので入浴させる

2002年10月16日(水)

寒がり、寂しがりが酷い

2002年10月22日(火)

徘徊と暴力が酷い。野末医師受診でセロクエル倍増

2002年10月23日(水)

倍増の効果見られず

2002年10月24日(木)

店内で排便する状態で薬が効かない

2002年10月26日(土)

荒れている

2002年10月28日(月)

矢向の迎えが遅くなっている

2002年10月31日(木)

ショートステイに行っている

2002年11月3日(日)

ショート中に発熱して感冒薬

2002年11月6日(水)

すいらんから電話で7.5度の発熱で下痢をしていると報告

2002年11月7日(木)

衰弱酷く終日寝ている。

2002年11月8日(金)

道路で寝るなどの行動

2002年11月9日(土)

風邪で咳と痰が続く

2002年11月10日(日)

駒岡ケア休んで自宅療養

2002年11月20日(水)

咳と痰が止まらずセロクエル中止でレントゲンの上アスベリン

2002年11月25日(月)

矢向のケアで扱い切れないと所長が断りにきた

2002年11月28日(木)

矢向では痴ほう酷くケア出来ないと言われる

2002年12月2日(月)

しらさぎのショートステイ

2002年12月6日(金)

しらさぎショート終了

2002年12月9日(月)

自宅に居ることが分からない

2002年12月15日(日)

駒岡ケア

2002年12月21日(土)

雨の中徘徊に出てしまった

2002年12月23日(月)

矢向ケア

2002年12月24日(火)

徘徊と排尿排便で自宅介護限界

2002年12月25日(水)

笑顔で「親が心配するから帰る」と言う

2002年12月29日(日)

ちり紙を食うまでになった

2002年12月31日(火)

娘を怖いおばさんだと言った

2003年1月4日(土)

シンナーを飲んだ

2003年1月5日(日)

駒岡ケア

2003年1月9日(木)

訪問介護の契約をした。

2003年1月10日(金)

神奈川病院申込

2003年1月14日(火)

野末医師の診察を受けた

2003年1月15日(水)

菜の花のデイケア

2003年1月22日(水)

歯科で診断書貰う。菜の花と駒岡が良くしてくれるが矢向はダメだ。

2003年1月25日(土)

すきを見て徘徊に出てしまった

2003年1月28日(火)

憑かれたような徘徊と抵抗が酷い

2003年1月31日(金)

訪問介護者の目の前で逃走した

2003年2月5日(水)

神奈川病院入院

2003年2月23日(日)

神奈川病院では徘徊も減り落ち付いている

2003年3月11日(火)

神奈川病院で食欲旺盛で行動も活発で笑顔も見せる

2003年3月19日(水)

ベッドから落ちてCT検査

2003年3月23日(日)

神奈川病院見舞い。一緒に帰るという

2003年4月10日(木)

病院見舞い笑顔が悲しい

2003年4月23日(水)

神奈川病院見舞い状態良い

2003年5月10日(土)

神奈川病院支払

2003年6月5日(木)

入院費が嵩み不安募る

2003年6月20日(金)

従妹と神奈川病院見舞い元気だが哀れさから逃げたくなる

2003年7月11日(金)

神奈川病院:骨粗しょう心配だが元気だ。セラトピアへの転院が決まった。

2003年7月15日(火)

90歳の誕生日を精神病院で迎えた。

2003年7月28日(月)

神奈川病院退院してセラトピアに入所した。久しぶりの車に乗って喜んでいたが自宅へ帰れない悲しい引っ越しだった

2003年8月6日(水)

セラトピアに行くと遠くから見つけて笑顔を見せた。

2003年8月17日(日)

セラトピアで急激な衰弱が目立つ

2003年8月22日(金)

一泊の外泊を申請した

2003年8月24日(日)

セラトピアから帰宅し店番をして夜は花火を見て楽しんだ

2003年8月25日(月)

睡眠剤なしで良く眠り失禁も抵抗もない。足が弱って階段は無理なので在宅は出来ない。

2003年9月1日(月)

セラトピアで体が曲がり直立できない。金井通医師にハロペリドールとユーパンの中止を申し入れたが聞き入れらなかった。

2003年9月4日(木)

食欲なく衰弱顕著で十日ほどで急変してしまった

2003年9月9日(火)

記憶障害はあるが判断力はある。強く言って薬を減らしてもらった。

2003年9月12日(金)

身体の傾きは薬のせいで唇は震えているが身体は治った

2003年9月14日(日)

夕方から自宅に迎え入浴させたが溺れそうになった

2003年9月16日(火)

立ち上がり困難でふら付くので目が離せない。午後セラトピアに帰る

2003年9月18日(木)

セラトピアから衰弱が激しいので二階から三階へ移動すると知らせあり

2003年9月26日(金)

食欲を失っている

2003年10月10日(金)

意欲をなくして声も消え入るようで歩こうとせず、目を瞑っている

2003年10月13日(月)

自宅に帰って来た。パーキンソンの診断で薬を飲まされたが残酷なことだ。

2003年10月14日(火)

セラトピアへ送って行った。8月には階段を昇れたのに9月には無理になった。10月には平坦なところも歩けない。口を開けるだけの衰弱だ。

2003年10月17日(金)

唇の震えが軽くなった。すぐにわかるし話も出来る

2003年10月24日(金)

自力で食事し唇の震えはなくなった

2003年10月27日(月)

眼鏡をかけて本を読んだ

2003年10月31日(金)

意識はしっかりしているが身体は衰えた

2003年11月7日(金)

自力で食事をして安定している

2003年11月14日(金)

状態が良いのに薬を止めてくれない

2003年11月18日(火)

一緒に帰りたいと言われた

2003年11月21日(金)

食欲あり落ち着いているのにパーキンソンだと言われ薬を飲まされている

2003年11月23日(日)

帰宅して皆と話をした

2003年11月24日(月)

姪や妹たちも来て賑わった

2003年11月25日(火)

昼食後にセラトピアに送って行った

2003年11月28日(金)

意識はしっかりだが身体は冷えていて手の温もりもなく活気がなかった

2003年12月2日(火)

意識は良いが歩行訓練はしてもらえない

2003年12月5日(金)

変化なく過ぎている

2003年12月9日(火)

食欲もあり元気だがすることがなくてかわいそうだ

2003年12月12日(金)

元気になっているがハロペリドールとユーバンを止めてくれない

2003年12月16日(火)

記憶喪失目立つが気力で頑張っている

2003年12月19日(金)

介護士から抵抗するようになったと言われた

2003年12月22日(月)

自宅を忘れてしまっている

2003年12月29日(月)

湯のみにタオルを入れた

2004年1月1日(木)

午後から自宅に帰った。

2004年1月2日(金)

歌を歌いカルタを詠んで楽しんだ

2004年1月3日(土)

自力で立ち上がる。薬をやめたせいだと思うと残念でならない

2004年1月4日(日)

セラトピアに送るが悲しい

2004年1月16日(金)

セラトピアの対応に不満。爪を切ってくれないし入浴もリハビリもしていない。薬だけは強行している。

2004年1月20日(火)

幻覚が出ているようだ

2004年1月22日(木)

セラトピアを退所して在宅にすることに決めた。ショートとデイサービスで戦う

2004年1月30日(金)

セラトピアの退所指示が出ないが便秘で下剤を飲まされている

2004年2月6日(金)

タオルを食べるようになって在宅介護も心配だ

2004年2月27日(金)

三月で退所して四月から自宅介護に入る。

2004年3月8日(月)

自力で立ち上がり食欲も旺盛。肺炎球菌接種。

2004年3月23日(火)

歩けるし食欲もあり読書もできる

2004年3月31日(水)

セラトピア退所して、アスカのデイサービス面接申込

2004年4月1日(木)

歩き回るので目を離せない。自宅にいるのに家に帰ると言う。

2004年4月2日(金)

アスカ通所開始

2004年4月10日(土)

菜の花の受け入れが決まった

2004年4月13日(火)

野末医師:薬不要、デイサービスは週五日。

2004年4月17日(土)

菜の花に行く

2004年5月18日(火)

セラトピアへショートステイ

2004年5月27日(木)

ショートを終えて帰宅

2004年6月5日(土)

尻の縟瘡にメサデルム塗布

2004年6月6日(日)

駒岡ケア

2004年6月12日(土)

野末医師:アズノールを処方された

2004年6月16日(水)

セラトピア入所

2004年6月25日(金)

セラトピア退所

2004年7月3日(土)

菜の花を見学したが最高齢で最重症なので昼食を食べきれない

2004年7月21日(水)

セラトピア入所

2004年7月30日(金)

セラトピア退所、縟瘡が出来た

2004年7月31日(土)

縟瘡にはデユオアクテイブを使用

2004年8月11日(水)

居眠りが増えた

2004年8月16日(月)

ありがとうの言葉を繰り返す

2004年8月24日(火)

セラトピア退所、縟瘡が出来た

2004年8月26日(木)

右ひざを痛がる

2004年8月28日(土)

腰やひざを痛がるが血液検査とレントゲンを予約

2004年9月3日(金)

体重が増えたので膝に負担がかかるらしい

2004年9月8日(水)

食欲あるが自力では食べない

2004年9月17日(金)

セラトピア入所

2004年9月28日(火)

あすか通所

2004年10月5日(火)

寒いが炬燵には入れない。膝を痛がり死にたいと言う

2004年10月7日(木)

右足が衰え集中力衰弱して気力に体力が追い付かない

2004年10月11日(月)

体温低下のようで活気がない

2004年10月19日(火)

セラトピア入所

2004年10月22日(金)

セラトピアに行ったが直ぐに分かってくれなかった。ストローが分からず牛乳飲むのも楽ではない

2004年10月28日(木)

セラトピア退所、

2004年10月30日(土)

身長133.6cm、体重36.5kg。心電図も採血もできなかった

2004年11月17日(水)

セラトピア入所

2004年11月24日(水)

セラトピアで食欲あるが判断力落ちている

2004年11月26日(金)

セラトピア退所、

2004年12月7日(火)

写真を撮ってみたが見た目より衰えている

2004年12月20日(月)

セラトピア入所

2004年12月30日(木)

セラトピア退所、

2005年1月2日(日)

衣装を褒められたので「モデルが良いからだよ」と言ったら「そんなこと言うと恥ずかしいよ」と笑った。

2005年1月8日(土)

アズノール使用だが縟瘡は出来る

2005年1月10日(月)

あすかで潮田神社へ初詣に連れて行って貰い歩いた

2005年1月14日(金)

セラトピア入所

2005年1月24日(月)

セラトピア退所、

2005年2月12日(土)

体重37.5kg。

2005年2月15日(火)

セラトピア入所

2005年2月26日(土)

セラトピア退所、車へ乗せるのが大変になった

2005年3月14日(月)

セラトピア入所、車の乗降が大変になっている

2005年3月18日(金)

歩行練習を日に三回はしていると言う

2005年3月20日(日)

プリンを食べさせ美味しいかと訊いたら「お前も食べな」と自分の耳にスプーンを押し付けた。

2005年3月22日(火)

セラトピア退所、花粉症で目が真っ赤だ

2005年3月26日(土)

菜の花で目薬と飲み薬を処方された

2005年3月27日(日)

駒岡から帰宅後鼻炎薬のせいで眠そうだ

2005年3月28日(月)

部屋への昇降が困難になってきた

2005年4月7日(木)

昼間も良く眠るようになった

2005年4月9日(土) 左太腿外側に硬結出来ている
2005年4月14日(木) セラトピア入所
2005年4月22日(金)

セラトピア退所、最期は自宅でと決め特養はキャンセルした

2005年5月5日(木)

電話の声に返事を出来た

2005年5月11日(水)

セラトピア入所

2005年5月20日(金)

セラトピア退所

2005年5月30日(月)

大雨の中潮田神経内科鈴木医師の受診。CTを撮った。

2005年6月13日(月)

身障手帳申込

2005年6月14日(火)

セラトピア入所 部屋まで歩行した

2005年6月17日(金)

セラトピア退所、便秘は食事量が少ないからか在宅時は快便だ

2005年6月25日(土)

野末医師の診察でビルビリン以外は正常と説明された

2005年7月13日(水)

セラトピア入所

2005年7月15日(金)

表情も減り自力で食べないから体力もなく車いすに座ったままだ

2005年7月22日(金)

セラトピア退所、

2005年7月31日(日)

歩行も出来ている

2005年8月7日(日)

口をあけることが難しく食事が困難

2005年8月15日(月)

セラトピア入所

2005年8月24日(水)

セラトピア退所、

2005年8月27日(土)

野末医師の診察受けた

2005年8月29日(月)

区役所へ診断書提出

2005年9月13日(火)

セラトピア入所

2005年9月22日(木)

セラトピア退所、

2005年9月26日(月)

身障手帳を受け取り医療費免除の手続きをした

2005年10月1日(土)

婦人科で細菌検査を受けた

2005年10月11日(火)

セラトピア入所

2005年10月21日(金)

セラトピア退所、

2005年10月30日(日)

喉を詰まらせ菊名病院へ救急車。レントゲンで心臓肥大がわかった

2005年11月12日(土)

インフルエンザワクチン接種

2005年11月21日(月)

セラトピア入所

2005年11月30日(水)

セラトピア退所、

2005年12月28日(水)

セラトピアで食事も早く歌を歌って元気だった

2005年12月30日(金)

セラトピア退所、職員にご苦労様と声をかけた。自室への段差も自力で上がった

2006年1月4日(水)

デイサービスが始まった

2006年1月7日(土)

菜の花へ行く

2006年1月17日(火)

セラトピア入所

2006年1月26日(木)

セラトピア退所、

2006年2月25日(土)

血中酸素は98%心音も明瞭だが37.7度の発熱で下痢。セラトピアでコンサートがあり外部の人間が出入りして風邪をうつされた

2006年2月26日(日)

食欲なく嘔吐あり。菊名病院へ連れて行ったがインフルエンザで隔離室に入院した

2006年2月27日(月)

右下肺に炎症あり。

2006年2月28日(火)

痰が詰まり吸引しているが危機を脱した様子

2006年3月2日(木)

りんごジュースを飲みヨーグルトも食べた。痰が詰まるが肺炎は軽くて済みそうだ

2006年3月3日(金)

6人部屋に移動したが痰の吸引をしている

2006年3月5日(日)

肺炎は治っていない

2006年3月7日(火)

普通食だが自力で食べられないので放置されていた。介助をつけるように頼んだ。

2006年3月9日(木)

点滴の針が刺さらず苦戦しているが食欲は旺盛だ

2006年3月11日(土)

点滴は必要ない状態

2006年3月13日(月)

採血後、点滴を続けているが咳は減った。

2006年3月15日(水)

痰が絡んでいるが点滴は終わった

2006年3月16日(木)

痰が出て肺に影は残っているが抗生剤クラビットと利尿剤ラシックスを処方されて退院となった

2006年3月17日(金)

訪問介護を申し込んだ

2006年3月18日(土)

痰は止まらないが食欲あり。夜6時に急変して38.5度。菊名病院に再入院。

2006年3月20日(月)

37.5度に下がって落ち付いた

2006年3月22日(水)

点滴を続けているが食欲もあり意識もはっきりしている。痰も止まり咳も出ない。

2006年3月24日(金)

左足が腫れているがリハビリをしてもらっている

2006年3月26日(日)

点滴も終わり食事もとれているのでリハビリが終われば退院になる

2006年3月28日(火)

微熱は出るが顔色もよくて食欲もある

2006年3月30日(木)

少し痰が絡む。水分不足で尿の出が悪い

2006年3月31日(金)

痰切り剤と解熱剤を処方されて4月7日退院の予定

2006年4月6日(木)

立ち上がりも困難だが明日から在宅介護を始める

2006年4月7日(金)

アントロブロンLカプセル45とクリアナールを35日分処方されて退院

2006年4月10日(月)

野末医師の往診を受けた。ADL悪化が見られるのでデイサービスは休止の指導

2006年4月13日(木)

訪問入浴日だが血圧低いので中止

2006年4月17日(月)

夜になって痙攣をおこし首を振り39度の高熱。毛布で包んでマッサージをしながら不安の一夜を過ごした

2006年4月18日(火)

朝は37.5に下がったが昼から39度の高熱。午後6時になって熱が下がらないので菊名病院に入院。橋本医師の説明で重篤と説明を受けた。尿路感染で腎盂腎炎で黄疸も出ている。在宅介護の能力がないと責められた。

2006年4月19日(水)

肺炎ではなく胆石だ。肝臓が腫れて発熱している。中橋医師の親切な説明で尿路感染でも肺炎でもなく胆石だと知らされた。肝臓が弱っているので脂肪分に用心だ

2006年4月23日(日)

点滴続いているが発熱なく痰も出ない。血中酸素は97程度

2006年4月24日(月)

眠そうで反応悪い

2006年4月26日(水)

食欲衰えたが点滴終わっている

2006年4月28日(金)

痰咳は便秘をしないようにと指示されて連休後の退院が決まった

2006年4月29日(土)

最初が14日、二回目が21日、三回目が13日の入院だった

2006年4月30日(日)

食欲旺盛で機嫌も良いが発熱はある。

2006年5月5日(金)

左手に手袋をして指を開かせるが硬縮が起きている

2006年5月7日(日)

往診医が決まれば退院と決めた。

2006年5月8日(月)

今日は尿管が付いている

2006年5月10日(水)

小雨の中介護タクシーで退院した

2006年5月12日(金)

夕食で喉を詰まらせて慌てる

2006年5月13日(土)

食は細いが笑顔を見せる

2006年5月15日(月)

野末医師の往診で衰弱が激しいので夏を乗り切ることを目標にする

2006年5月16日(火)

訪問介護士が立たせてくれて大量の便が出た。

2006年5月18日(木)

介護士は立たせることを禁じられている

2006年5月22日(月)

37度台の発熱で入浴は中止

2006年5月24日(水)

塩田医師の往診で、発熱を繰り返しながら衰弱すると言われた。左手硬縮は脳から来ているので治らない。左右に起きて両足に起きて嚥下が出来なくなるという。

2006年5月25日(木)

37度の熱があったが入浴した

2006年5月26日(金)

吉原看護師が来てくれた

2006年6月1日(木)

訪問看護吉原さん。血圧、脈、心音異常なく左手の硬縮だけが問題

2006年6月9日(金)

大雨の中レントゲンとCT撮影のためうしおだ病院へ連れて行った。

2006年6月10日(土)

夜10時過ぎに38度の発熱。水まくらで不安の一夜を過ごすが昨日雨に濡れて風邪をひいたのだろうか?

2006年6月14日(水)

爪の水虫も肝臓が弱っているので服薬出来ない。左肺に影があるが二年前と変化はない。CT画像では脳が消滅して記憶判断が不可能と証明された

2006年6月16日(金)

セラトピア入所

2006年6月22日(木)

終始目をつむったままで嚥下も困難だ

2006年6月26日(月)

セラトピア退所、

2006年7月2日(日)

衰弱が目立ち幻覚が見えている

2006年7月26日(水)

セラトピア退所、

2006年7月27日(木)

一週間の減食で衰弱している

2006年7月28日(金)

丹治さんが立たせてくれて便座に座らせ30センチにもなる便を出してくれた

2006年8月5日(土)

便秘の後下痢が続く

2006年8月17日(木)

セラトピア入所

2006年8月23日(水)

セラトピア退所、

2006年8月24日(木)

血液検査の結果は総蛋白が少ないだけで異常なし

2006年9月19日(火)

セラトピア入所

2006年9月21日(木)

殆ど目を瞑ったままで食欲もない

2006年9月22日(金)

すいらんをキャンセルしてやすらぎ申し込む

2006年9月25日(月)

セラトピア退所、35.8kgの体重は予想を超えている。

2006年10月6日(金)

食欲も出て元気だが寒くて雨が続くと心配だ

2006年10月10日(火)

新鶴見利用したが送迎に付き添いが必要で困っている。

2006年10月19日(木)

セラトピア入所

2006年10月25日(水)

セラトピア退所、

2006年11月8日(水)

インフルエンザワクチン接種

2006年11月17日(金)

介護度4から5になる

2006年11月24日(金)

セラトピア退所

2006年11月27日(月)

往診と訪問入浴

2006年11月30日(木)

新鶴見入所

2006年12月2日(土)

新鶴見退所

2006年12月9日(土)

丹治介護士が立たせてくれて便が出た

2006年12月21日(木)

セラトピア退所

2006年12月27日(水)

年末年始のためにセフゾンとカロナールを処方された

2007年1月18日(木)

セラトピア入所

2007年1月24日(水)

セラトピア退所:外耳から出血あり。34キロの体重は維持している。

2007年1月25日(木)

吉原看護師が外耳を覗き耳かきの失敗と判断。37.2度の微熱でカロナール服用。

2007年1月29日(月)

採血と尿検査

2007年2月13日(火)

やすらぎ利用のためうしおだ診療所を往復してレントゲンと心電図。

2007年2月14日(水)

下痢と便秘を繰り返す

2007年2月15日(木)

縟瘡が出来てしまった

2007年2月16日(金)

セラトピア入所

2007年2月22日(木)

セラトピア退所

2007年2月28日(水)

レントゲンで胸水が見つかった

2007年3月1日(木)

37.5度の発熱

2007年3月12日(月)

寒気を訴え37.6度の熱があり入浴中止

2007年3月13日(火)

37.1度の熱でセラトピア入所を迷ったが看護師に診てもらうため入所。

2007年3月19日(月)

セラトピア退所

2007年4月5日(木)

痔を患い介護士が丁寧に清拭してくれた

2007年4月13日(金)

セラトピア入所

2007年4月19日(木)

セラトピア退所

2007年4月24日(火)

やすらぎ入所で手続きに三時間

2007年5月16日(水)

微熱あるが入浴

2007年5月23日(水)

セラトピア退所

2007年6月24日(日)

やすらぎで胆のう炎のため発熱して点滴を受けている

2007年6月25日(月)

うしおだ病院:安田伊久磨医師の説明では発熱の原因は限定されない。延命処置についての質問とシャンテの希望を聞かれた。点滴を受けて心電図をつけられて痛々しいが意識はある。

2007年6月26日(火)

抗生剤の点滴で体力を付けてから検査をする方針。

2007年6月27日(水)

点滴だけで熱は下がった

2007年6月29日(金)

採血したが点滴は中止。目を開かず反応も悪い

2007年6月30日(土)

点滴は忘れていたとのこと。

2007年7月1日(日)

点滴は続いているがプリンを食べさせた。一週間ぶりの経口食

2007年7月3日(火)

点滴続くが食欲はある

2007年7月4日(水)

目を開かないが経口食

2007年7月6日(金)

安田医師の説明で脂肪分を控えイワシの甘露煮などが良いと言う。助けてくれたお礼を言ったら点滴をしただけで本人の生命力だと褒めてくれた。

2007年7月8日(日)

左手中指にけがを見つけたが痛みを訴えない。点滴針の跡が痛々しい

2007年7月10日(火)

左手中指のつめが剥がれかけたように出血していて右手首は点滴が漏れたように腫れている

2007年7月12日(木)

37.5度の発熱で水まくら。左足の爪が剥がれかけていた。血液検査ではまだ炎症が起きている。食事を拒否するようになっている

2007年7月13日(金)

微熱残るがヤクルトを飲ませた

2007年7月17日(火)

微熱残り炎症も残っているが脂肪分を制限する以外に治療法はなくケンタンと胃薬をもらって退院した。

2007年7月18日(水)

37.8度の熱が続いているが食欲はある。尿毒症が怖いので訪問入浴を強行した

2007年7月24日(火)

食物を拒否する

2007年7月25日(水)

37度の発熱で看護師が入浴を中止した。氷まくらで冷やすだけ

2007年8月8日(水)

セラトピア退所

2007年8月9日(木)

吉原看護師が手指の湿疹を手当てしてくれた。握ったままの左手指は皮がむけるような状態だ

2007年8月13日(月)

武田医師の往診で肺に弾力がなくて深呼吸が出来ない状態と説明された。

2007年8月25日(土)

下痢が続く

2007年8月30日(木)

状態安定してウフフと笑う

2007年9月11日(火)

セラトピア入所

2007年9月18日(火)

セラトピア退所:32.7kg。食事は減ったが体調変化なし

2007年10月12日(金)

セラトピア入所

2007年10月18日(木)

セラトピア退所

2007年10月26日(金)

鼻水を流し夜中に咳も出る

2007年11月4日(日)

38度の発熱で心配したがケンタンを飲んで寝た

2007年11月5日(月)

昼から37.8の熱が出た

2007年11月6日(火)

38度の熱で痙攣も起きたがケンタンを飲んで熟睡した

2007年11月7日(水)

38度の熱が続くが食欲はある

2007年11月8日(木)

36.7度で予防注射は中止。採血済ませたが血中酸素94%。痰は絡んでいるが肺炎の危険は去ったと医師の言葉。夜になって37.5度の発熱

2007年11月10日(土)

発熱を繰り返しているが食欲がある

2007年11月16日(金)

やすらぎ退所

2007年11月26日(月)

インフルエンザワクチン接種

2007年11月28日(水)

メデイカル入所

2007年12月11日(火)

メデイカル退所

2007年12月12日(水)

37.7度の熱があったが入浴。往診では異常なかったが蛋白が足りない

2007年12月13日(木)

38度の発熱があって調子良くない

2007年12月22日(土)

年末年始用に発熱時のカロナール、感染防止のセフゾン、便秘時のアローゼンをもらった。

2007年12月31日(月)

便秘で酸化マグネシウム服用

2008年1月9日(水)

足温器で低温火傷をした。

2008年1月13日(日)

背骨の付近に縟瘡

2008年1月18日(金)

やすらぎ入所

2008年1月22日(火)

やすらぎ入所

2008年1月27日(日)

ショートステイ中

2008年1月29日(火)

やすらぎ退所

2008年2月3日(日)

便秘以外の心配がない

2008年2月8日(金)

メデイカル入所

2008年2月18日(月)

メデイカル退所

2008年3月10日(月)

往診の医師に綺麗な年寄りだと褒められた

2008年3月24日(月)

やすらぎ入所

2008年3月27日(木)

やすらぎ退所:元気に帰宅したが午後5時ころから41.5度の発熱で心配した。塩田医師の往診と看護師が駆け付けてくれて解熱の座薬点滴をして小康を得ている。

2008年3月28日(金)

座薬が効いて熱は下がりセフゾンだけ飲ませている。一時は血中酸素量がメーターに出ないほど下がってしまったが奇跡のように回復した。

午前中は普通に飲食出来たが午後3時ころ再び40度の高熱。座薬で対応してセフゾンを服用している。

2008年3月29日(土)

39.7度の発熱を繰り返しながら頑張っている。 座薬とセフゾンと氷まくらで解熱に努めている。夜には熱も下がり安眠出来ているので大丈夫と思いたい。

2008年3月30日(日) 

朝は粥を食べて水分も摂れたのに昼ごろ39度の高熱が出て震え始めた。意識もあり呼吸が荒いので見ていて辛い。

2008年3月31日(月) 

朝4時に38度の発熱で呼吸が荒い。氷で冷やして夜明けを待ち午前11時に訪問看護師の滝本さんが在宅で点滴をしてくれた。点滴が聞いて良く眠っている。

2008年4月1日(火)

母の熱は40度近くまで上がって心配は絶えない。ビタミン入りの点滴を受けて安定している。
入院しないで良かった。病院では出来ない看護が出来る。これで元気になれれば病人も安心していると言われた。

2008年4月2日(水)

今朝も朝四時から発熱して震えた。ボルタレンの座薬で熱が下がるのに一時間もかかり、今朝はチアノーゼが出た。11時から点滴をして12時半に神経内科の古谷医師の診察を受けた。今日からの新しい医師だが丁寧に細かく診察をして説目もしてくれた。
白血球が二日の間に14000から24000に増加して、31日の検査結果と比べて、今日の数値は良くない。 血小板の減少が顕著でDIC
(播種性血管内凝固症候群)が悪いことを示した。数日から十日ほどの余命と思うようにとのことだ。
早朝四時から発熱して呼吸が荒くなり、落ち着くまでに2時間もかかった。
ボルタレンの座薬を使ってから一時間も落ち付かず 効き目が遅い。
夜、
抗生剤セロニードを点滴したが、入院しても、今と同じ治療法しかなく、厳しい状況は変わらず、緊急時に延命処置が出来るだけだという。
熱が下がった時に、歌を歌っても良いかと聞いたら「うん」と言ってくれたので、いつもの歌を歌ってみた。
微かに首を振りながら、調子を合わせてくれる気丈さに感謝しながら、幸せの味をかみしめている。
気休めだと言われたが酸素マスクを買ってみた。

2008年4月3日(木)

三ツ池公園に行く予定だったが、思わぬ重病になってしまった。今朝も五時に呼吸が乱れて熱が上がるのにも時間がかかった。ようやく38度になるのを待ってボルタレンを使ったが、落ち付いたのは六時半ごろだ。懸命な水分補給で450CCほど飲んでくれたが、炎症は治まらないようだ。

2008年4月4日(金)

一昨日からの抗生剤セロニード点滴が効いたようで、昨夕からは発熱が起きていない。久しぶりに安眠が出来て朝九時現在で水分を200cc飲めた。
しかし昼ごろ38度の熱が出て油断は出来ない状態に変わりなく、腕や指の硬縮が解けて開いているようになった。
訪問看護師の測定で血中酸素は94%、血圧も101−60であった。今日も
抗生剤とビタミンなどの点滴をして貰った。
夕方にはアイスクリームを食べて、精一杯頑張ってくれている。
夜、孫とひ孫が三人で遊びに来てくれた。

2008年4月5日(土)

昨夜から発熱はなく呼吸も静かで熟睡出来た。ドリンクを200cc飲んで安心したが、午後になって38度を超える発熱。一日に点滴で500ml、口から500ccを心掛けている。既に十日間の闘病で体力も限界になっているが、スポーツドリンクを拒否することはない。
抗生剤の点滴を続けて月曜日には医師の往診がある。

2008年4月6日(日)

昨夜は38度の発熱があったが、夜は熟睡し今朝も静かに目覚めてドリンクを200cc飲んだが今日は点滴がないので、ヨーグルトとアイスクリームなどを食べて体力を付けてもらう。一日に800ccを目標にしている。
どうしても昼過ぎに38度の熱が出るが、夕方には落ち着いてプリンを食べた。

2008年4月7日(月)

夜は安眠して、朝も機嫌よく目覚めた。ポカリは100ccしか飲めなかったが、証城寺の狸囃子を歌ったら調子を合わせてくれた。舌苔が付いていたのでガーゼで清拭してアイスクリームを食べた。点滴に来た看護師の呼びかけに目を開き探す様子を見せたので奇跡的な回復に驚いていた。
午後は加賀美星子医師と滝本看護師が来て前回血液検査に比べ劇的に快方に向かっていると言われた。白血球は12000、血小板は25になった。明日からは抗生剤の点滴は止めてクラリッドを飲むことになる。

2008年4月8日(火)

夜も良く眠り、物音には敏感に反応している。白内障で目は見えていないようだが微かな音にも顔を向けようとしている。見えなくても聞こえてくれて嬉しい。
大雨警報が出るほどの強い雨と風だが、今朝は200ccの水分を飲めて、安心を与えてくれる。 
午後から訪問看護師が背中の縟瘡を診てくれたが、エアーマットが必要な状態なので早速手配した。 座ることが出来ない上に栄養状態も十分ではないということだ。 
悪天候と忙しさで遅くなったが宝泉寺から甘茶を頂いて飲ませる事が出来た。

2008年4月9日(水)

呼吸も穏やかで水分も摂れるようになった。入浴許可は出たが業者の予定が一杯で、来てもらえない。
食欲が出て来たのでプリンを色々買って来た。明日からは点滴も止めて経口食になる。このまま頑張って5月末にはメデイカルクリニックに入って健康チェックをしてもらえる予定だ。

2008年4月10日(木)

発熱もなくなり良く眠り良く食べるようになった。今日は縟瘡防止のためにエアーマットを入れた。
看護センターの方からも容態を聞いてくれるし安心して介護できる。日中は退屈のようで「詰まらないか?」との問いかけに「うん」と肯いた。

2008年4月11日(金)

エアマットの動作音と振動は気になるが安眠してくれた。今朝はエンシュアを200cc飲み、プリンも食べて元気だ。点滴が終わっても普通に過ごせている。
クラリッドは飲んでいるが、今日も一日、たくさん飲んで、食べて貰う!
夜には久しぶりに椅子に座っての薩摩芋などの食事が出来た!

2008年4月12日(土)

誰もが信じられない回復を見せてくれる。
今朝も機嫌よく目覚めて座ってエンシュアを飲んでいる。
夕食に粥を食べたが咽てしまい、痰が絡んでしまい心配は朝四時頃まで続いた。
元気に見えても細心の注意が必要だ。

2008年4月13日(日)

一晩中心配だったが、今朝は元気に目覚め椅子に座っての飲食が出来るまでになった。
表情もシッカリしてクラリッドは飲んでいるが、回復していると思える。

2008年4月14日(月)

今朝も普通に目覚めて寝起きにエンシュアを200cc飲めたが、午後からは食が細くなり衰弱を心配している。

2008年4月15日(火)

エンシュアを飲むのがやっとで、流動食も食べたがらない。プリンも特に軟らかいものでないと食べられない。食べてもらうことに苦労している。

2008年4月16日(水)

久し振りに入浴出来て、今日は600ccほどを飲めている。朝比奈を回り母の食料を探して来た。

2008年4月17日(木)

一日に1000ccが最低必要量だと指導を受けた。250mlのエンシュアを朝晩で一本づつ。水分を500ccは厳しい目標だが、頑張ってもらいたい。アイスクリームとヨーグルト、プリンも出来る限り食べてもらうようにする。

2008年4月18日(金)

昨夜は痰が切れずにゼイゼイしたが朝には治まって、寝起きにエンシュアを125cc飲んでくれた。
ポカリスエットとプリンと卵豆腐とアイスなどを少しづつ食べて寝るまでに1000cc近くが摂れた。
口の中を清拭すると、少しづつ飲めるようだ。

2008年4月19日(土)

夜は静かに眠れて、朝は久しぶりに良い便が出て、エンシュアも200cc飲めたが、10時頃39度超の熱が出てしまい訪問看護を呼んだ。
採血の結果は数値が悪くて往診を受けた。 金野竜太医師の診断では肺炎の疑いであり、血中酸素が低く呼吸困難なので入院をと勧められたが、帰宅出来る可能性は低いと言うので在宅を決意した。
夕方、滝本看護師がネプライザーを持って来てくれて範代と優子が痰の吸引をしている。
抗生剤点滴などは出来ないと言われ、
クラリッドとカロナールを服用して様子を見ている。在宅で酸素吸入が出来ない法律も変だと思う。

2008年4月20日(日)

優子が一緒に寝てくれて夜中の吸引もしてくれた。昨日は緊急入院を勧められたのに、今朝は機嫌よく目覚め昼前に450ccも飲めた。緊急入院を勧められたのが、嘘のように落ち付き、目を開けて、問いかけにも反応がある。
母も頑張るが娘も頑張ってくれる。周囲の助けがなければ出来ないことを知ってくれて、我が家族のために良くしてくれる人たちに感謝をする。

2008年4月21日(月)

夜中に痰が絡んでいたが、朝の目覚めは良く寝起きに200ccを摂っている。
クラリッドを飲ませ、栄養をつける努力をしているが、姪からお汁粉が送られて来た。気を使ってもらえて有り難いことだ。

2008年4月22日(火)

昨夜は安眠出来て今朝は反応も良かった。食後に痰が絡むので、日に1000ccは楽ではないが、一生懸命努力していく。

2008年4月23日(水)

エアマットの効果もあり縟瘡も軽くなっている。入浴も出来て今日は汁粉を含め950ccを飲めた。

2008年4月24日(木)

熱もなく穏やかに返事をしてくれた。看護師さんが入念に手当てをしてくれた。

2008年4月25日(金)

低体温で反応良くないがエンシュアは飲める。留守にするのは心配だがオムツと敷布などを買い出しに行って来た。
夜、ヨーグルトで咽てしまい食べられなくなった。ネプライザーで吸引したが 一晩中ゼイゼイしてしまった。

2008年4月26日(土)

ゼイゼイした割には良く眠れたようで発熱もなく、目覚めに音楽を聞いている。目標水分を達成できている。

2008年4月27日(日)

朝から痰の吸引をしたが、椅子に座るなど元気にしている。両眼とも視力はなくなってしまったようで音を頼りに顔を向けてくれる姿は悲しくなる。

2008年4月28日(月)

痰の吸引をしてから眠ったが、明け方までゼイゼイは治まらなかった。往診で異常は見つからずクラリッドの服用も昨日で終了した。

2008年4月29日(火)

反応は良くないが静かに日々を過ごしている。口を開けないのが可哀想だが少しづつでもエンシュアを飲めるのが救いだ。

2008年4月30日(水)

吉原さんに鼻から痰を吸引する方法を教わり実行。

2008年5月1日(木)

鼻からの吸引で急激に良くなった感じがある。

2008年5月2日(金)

一日、ゼイゼイしないで過ごせて1000ccも達成した。

2008年5月3日(土)

理由は分からないが痰が絡んでいる。

2008年5月4日(日)

終日痰が取れずに息苦しそうだった。

2008年5月5日(月)

明け方になって漸く痰も切れて呼吸も静かになった。

2008年5月6日(火)

昨日から痰も切れて楽に呼吸ができている。

2008年5月7日(水)

夜のポカリを誤嚥して痰が絡み始めた。

2008年5月8日(木)

痰は絡んでいるが意識はハッキリしている。

2008年5月9日(金)

朝まで静かな呼吸で眠れている。

2008年5月10日(土)

今朝の寝起きも良くて、エンシュアを飲んでいる。

2008年5月11日(日)

危険な状態を乗り越えて母の日を迎えた。

2008年5月12日(月)

往診でも異常はなく、今日はキャラメルを舐めた。

2008年5月13日(火)

寒かったり暑かったり天候不順で今日は冷たい雨が降る。

2008年5月14日(水)

天候のせいだろうか久し振りに38度の熱が出て入浴は中止だ。

2008年5月17日(土)

38度の熱を繰り返しているが、特に衰弱は見られない。

2008年5月23日(金)

痰が絡むこともなく静かに過ごせている。

2008年6月11日(水)

15日間のメデイカルを無事終了して帰宅した。

2008年7月15日(火)

元気に95歳を迎え、誕生日を祝った。

2008年7月25日(金)

38度2分の発熱で解熱剤を飲んだが、落ち着いている。 

2008年8月12日(火)

嚥下困難で痰詰るが食欲旺盛で医師も褒めてくれた。

2008年8月29日(金)

やすらぎでもエンシュアを使わず経口食で過ごしてくれた。

2008年9月15日(月)

熱も出ないし食欲もあって無事に敬老の日を迎えられた。

2008年9月18日(木)

38.6度の発熱で解熱剤とクラリッドを処方された。

2008年9月19日(金)

メデイカルクリニックで各種検査を受ける。 

2008年10月11日(土)

楽しみにしていた紅葉狩りは雨であきらめた。

2008年10月24日(金)

昨晩はカロナールで熱を下げ安眠してもらえた。

2008年10月29日(水)

入浴の日だが37.5度の熱があり迷ったが入浴した。

2008年11月1日(土)

血圧下がり血中酸素も少なく点滴で凌ぐ。

2008年11月7日(金)

塩田先生が素晴らしいDNAだと褒めてくれた。

2008年11月11日(火)

昨夜は38度の発熱と痰が詰まった。予定の接種は中止。

2008年11月12日(水)

39度の熱でも苦しまずに乗越えて今日は入浴だ

2008年11月20日(木)

数滴づつを命懸けで飲んでくれるが38度あり600ccも辛い
ネプライザーを欠かせず痰の詰りと発熱を繰り返して衰弱しているように見える。指の硬縮が解けて来た。

2008年11月21日(金)

39度の熱が下がらず往診を受けた。血中酸素も88%まで落ちていて良くないが、カロナールを飲んで眠っている。またまた連休を控えてのことで、心配だ。
午前中、区役所から介護保険の調査員が来て、ひと悶着起こしてしまった。五段階の最終なのに回復の可能性ゼロの患者にも毎年多くの費用をかけて更新をする。入ってくるなり名前も告げずに高熱で寝て居る母の実態調査に入ろうとするから、先ず名乗ってから感染を恐れる病人に接するべきだと苦情を言った。
現場の医師も看護師も介護士も、みんなが良くしてくれているのに役所の冷たさは我慢できなかった。

2008年11月22日(土)

外は寒いが窓からの日光を浴びてエネルギーを貰える。恵まれた環境で今日も頑張ってます。

2008年11月25日(火)

朝から飲み込みが悪くて300ccが厳しくなって居る。
呼吸が乱れても問いかけに応じて、苦しいか?との問いに初めて辛さを訴えた。
震顫と言われた唇の動きが止って口を開いたままで居る。往診があるので少しは様子が判るかも知れない。どんな介護も受け付けられないほど、体力は限界に近付いている。

2008年11月25日(水)
午前十時丁度

朝は機嫌よく目覚めて範代に抱かれてセフゾンも飲みかけたが、笑顔を見せたあと、静かに息を引き取った。
直ぐに森泉看護師が来て、窪倉医師も駆け足で駆けつけてくれたが、見事な大往生だった。 
看護師も医師も介護士も、皆が最善を尽くして面倒を見てくれた。在宅介護の喜びを楽しみを感じられたのは、家族だけでは出来ない。心ある援護があって可能だった。
頑張った母に対して、悲しい筈は無いのに、涙だけは出てしまった。
 夕方、吉原さんが弔問に来てくれた。思い掛けない事だったので本気で看護してくれた人柄に感激した。夜になって寒くて暗い中を妹の久子叔母も顔を見にくれた。娘と暮らして居るので行動出来て幸せな存在だが、多くの妹たちも既に久子叔母だけが動ける人になってしまった。
夜は次男と三男も来て三人で生前の母の話をして賑わった。素晴らしいDNAを受け継いだのだから頑張らなければいけないと決意した。

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